2016年12月24日土曜日
1111~イチイチイチイチ~
有無を言わさない絶対的幸福感を帯びた日にあたしは生まれた。
あたしの名前はトモミ。
小さい頃から劣等感を感じることは少なかった。有難いことに、両親は結構歳を重ねてからあたしを産んでいて、そのためか、一挙一動に驚き、賞賛の声をあげてくれる一番のサポーターで居てくれた。
その両親の元に育ったこともあってか、自分がどのような発言をして表情を見せたら両親が喜んでくれるか分かっていた。
受けた愛情は、表情に替えてプレゼントする。
今も変わっていないのかもしれない。
人と比べる、なんてことが煙たい事だと知ったのはつい最近のこと。
今から思えば、恥ずかしいけれどきっと、あれが若さであり(幼い状態であり)無知な事だったのだと思う。
あたしは20代の時に、やたらと人に勝ちたかったのだ。
何でもいい。
あたしがより輝く場所へ、より笑える場所へ。
自分がどのステージに立っていればいいのか自然と選びとるクセは、幼いころから変わってはいないし、きっと今も変わらず自身が”幸福”であることを選びとっている。
けれど、人は自然発火するように出来てはいなくて、周りから照らされているからそのステージに立っていられるんだということに気がついた。
トモミちゃん、トモちゃん。
色んな呼ばれ方をしたけれど、どれも愛着があって好きだった。
1が4つ並ぶ数字には、世のために生きる覚悟のある人だけが纏えるオーラがあって、この時刻に産まれた事実が本当に好きだ。
1番、一等賞、一番手。
どれも抜きん出ていることに、密かに誇りを持っていた。
でも他人は時にそれを責めた。
自分一人が輝くことで、光を分け与えることを目標としていたはずなのに、他人は時としてあたしを妬み、あからさまに拒むものもいた。
自分は自分、他人は他人、と割り切るは余りにも辛すぎる日もあった。
だって、あたしが信じた友達だもの。
折角なら、一緒にステージに上がってほしい。
トモミはテレビを見るたびに、あるいは駐車場の精算パネルの時刻に見るたびに、自分の生き方を重ねる。
イチイチイチイチ
このゾロ目に生まれたあたしには、他人を幸せにする覚悟があるんだ。
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