2016年12月27日火曜日

0917~ゼロキューイチナナ~





12星座イチ癒しの星座、薬箱のような存在と言われる乙女座の生まれ。




器用で職人気質、そのクセ審美眼があって物事の本質を見抜くことに長けてる、

なーんて占いの本に書いてあったっけ。



なんだか難しいヒトのように思われがちな星座だけれど、乙女座だから、やっぱりファンタジーが好きなのです!



難しくなくていい!皆んなが笑ってくれたらいいなぁ。



皆んなが集まって、私が選んだ服達を着たお客さんがキラキラとした表情に変わる瞬間を見届けることが人生最大の喜びだと思っております、わたくしnamo.の店主モリエルです!




今日も元気に出勤です。


どんな人が、どの子達(服たち)を手にとってくれるんだろう。
今日も大発見の旅に出るよー!
みんなおはよーう!



矢場町の交差点を歩くやいなや、周りの人が次々とモリエルに声を掛けていく。



たまたま私を見た、というお客さんが言うには、

私が歩く姿は、

「フワフワとしていて、たまに、笹の葉なんてアイテムをもってるから見つけやすい!魔法使いっぽいなーと感じるのは、モリエルちゃんしかいないから、わかりやすい!」

のだそうだ。



見つけてくれるヒトが、何処かにいてくれたんだぁ。嬉しいなぁ。
見守ってくれる人がいるんだなぁ、私はひとりじゃないんだなぁ。
ふわぁー、がんばろーう!



ジンジャーラテでも飲んだように、ココロがポカポカするその温度を携えたまま、

モリエルは雑居ビルの3階の店舗に入っていった。



色とりどり、カタチの変わった服。


「どの子たちも、自分が選んだものだから、誰に嫁に出しても恥ずかしくないー」


といいつつ、服に情が移って、愛着が湧き、いつしか自分が着てしまっていることもある。


まいっかー!大好きだもん!



モリエルはその日の自分に合う”衣装”を選ぶのが大の得意。


今日もモリエルは、namo.に一歩踏み入れてくれた仲間たちを幸せにするべく、せっせとハンガーをとっては仲間のデコルテ辺りにあてていく。


そう、そっと魔法をかけるように。





”おばあちゃんになってもnamo.を続けていきたい”




そう、いつか書いた金色の短冊がそっと傍らで、魔法のかかる瞬間を見届けているようだった。



0506~ゼロゴーゼロロク~




「ユナ、おともだちと仲良くなりたい!」



「じゃあ、たくさん遊ぼうって言って友達と仲良くなったらいいよ。きっとユナちゃんと仲良くなりたいな、って思っている子はたくさんいるよ。そのためには、なかよくなりたい子の良いところをたっくさん見つけて褒めてあげるといいね。ユナも、ママから可愛いねって言われたら”ありがとう”って言うでしょ?そんな調子でね、ありがとうの言葉から仲良くなることがいっぱいあるよ。
ユナ、笑って!スマイル忘れちゃだめよ。」



仲良くなりたいな、


なりたいだけなのに、またママに怒られちゃった。



ママは丁寧に教えてくれるけれど、それが出来ないから困るんだ。



困るから、話したいのに。



友達と仲良くなりたいという、ココロからの願いをママに話している間、ユナはよく”ふくれ顔”をしてしまう。



遊びたいー(ふくれ顔)


セイナちゃんとゲームしたいー(ふくれ顔)


ママとお出かけしたいー(ふくれ顔)



いっつも、いじけちゃって本当のことはそのままママに伝わらないけど、本当に、本当に、みんなと仲良くなりたいんだっ。



ユナの愛情はとってもとっても大きく温かい。みんな良くわかってくれているけれど、ユナの困り顔、ふくれた顔に釣られて、大人達もふくれてしまう。



ありがとう、の言葉はユナの口から出るのだが、どうも表情が伴わないことがある。



ユナは、とっても温かいハートの持ち主、でもストレートに伝わらない。



不器用で愛らしい子なのだ。



ついこの間もママを突き飛ばしてしまった。



あれ、ママが何処かいっちゃった。



一緒にいっぱい遊ぶ約束したのに。



さみしいな、ユナを置いていくなんて。




ひどいよ、かまってよ、手を離さないでよ、大好きなママ行かないで!




ユナはママ目掛けて一直線に走り、見つけたついでに、



”ユナが迎えにきたよ”



と、無言のまま、両手でチカラいっぱいにママの太ももを突いた。



そしたら、思わぬことにママは、その場に崩れるように転んでしまったのだ。



ついつい、またユナはふくれ顔をしてしまった。



本当はかまって欲しかったんだ。



ユナの愛情はどこまでも大きい。



それは大好きなママを突き飛ばしてしまうほどの強力なものだ。



「そろそろ帰ろっか、ユナ」



「ママ、ごめんね。…ありがとう。」



まずは、ママに優しい自分であるところから始めて、それからお友達と仲良くしようと決心した、ユナなのでした。






2016年12月26日月曜日

0625~ゼロロクニーゴー~



梅雨時に起こす事故は、時が経っても、また雨が降れば古傷が疼くのだ。
と誰かが教えてくれたことがある。



6月とは言え、雨が降れば、その肌に冷たさが感じられる、そんな季節だ。梅雨時というのは。



傷というのは自分が忘れたつもりでも、身体が覚えているらしい。



切ないけれど、どこか滑稽にも感じられる事実に気づき、自嘲気味な自分をなかったことにしようと、タクシーを止めるために手を挙げた。




いくらタクシーを止めるのに、1分以内とはいえ、傘を持たなければ、空から容赦なく降り続ける雨を拒まずにジャケットが重たくぬるい温度を帯びていくことは、わかりきっていた。



でも、一刻も早くタクシーに乗らなくては。



ココロではなく身体が答えをだしていることに、多少の苛立ちを感じていた。




どういうことか、消えるようにして入ったタクシーの中のあたしときたら、後部座席から身をのりだして、おぼつかない手を使い、あっちです、こっちです、なんて指図していた。




何処に行くかはきっと”身体”が覚えている。



いっそのこと本能のままに、任せてみよう。そう、腹をくくったが、もう一人の自分が冷静にこの状況を顧みていて



”誰でもいいけどさぁ、じゃあ、教えてほしいけど、今のあたしの頬にかかる水滴は拭いきれなかった雨なのか、涙なのかどっちなの?”



なんて、もう一人の自分とお喋りをしていた。



そこへタクシーの運転手が落ち着いた様子で話しかけてきた。



車内は前に乗った人の残り香なのか、煙草の匂いがした。




「先程から、お急ぎのようですけれども、病院か何かですか?具合が本当は悪いとか。」



「いえ、そんなんじゃなくて。」


ついつい話しぶりが荒くなる。
だって自分も分からないのだ、何処に行きたいのかなんて。




「では、どなたか身内の方の御見舞いとかですか」



やっぱりこの運転手は分かってないなぁ。と苛立ちを隠せなかった。



「どっちだっていいでしょう、理由は何であってもいいじゃない!」




声の大きさに驚き、これ以上運転手が声をかけることはなかった。



着いたのは、元彼の住むマンションだった。身体が覚えていたことに、自分でも驚き、呆れた。



あんなに好きだったのに、こっちから振ってやった彼。



そのマンションの前にいる。





古傷が疼く、か。





土砂降りの雨の中、頬の水滴を拭い、その足はエレベーターへと向かっていった。





1209~イチニーゼロキュー~




あったかくて、美しいものをずっと探してた。



小さい頃からモノを創ることが好きで好きで仕方なかったけれど、夢中になって創ろうとするほど、オトナたちは、私の行動を危なっかしいなと思うような目で見てきた。




その視線は突き刺さることもあった。

どうしてほっといてくれないんだろう。

マイワールドは、文字の通り”自分の世界”。

誰も入れないはずの世界。



なのに、大人達は、

”ジェンガに夢中になっていて、グラグラと木目の積み木が揺れて、いつかそれがガラガラと音を立てて崩れていくさまを笑えずに、ついにはガッカリする子供の顔を見たくないんだよ。”

と言わんばかりに心配してきた。



モノづくりの世界は甘くはない。



マイワールドを差し出して受け取ってくれるような、現世なのだろうか。




上手く行かなくなったとき、あんなにキラキラしていた、貴女の顔が曇るのはごめんだわ、と、うちの親も心配していた。

家族ってこういうものだよな、ありがたいかもだけど、と、余計な心配は(身内であれど)丁重に断ってきた。



でも、心配性な親でさえ、ちょくちょく言う言葉があった。


「手に職をつけなさい。きっと人のお役に立つことがある」


という言葉。


応援しているのか反対しているのかわからなかったけれど、きっと、私の事を信じてくれているから言ってくれたのだろう。



高校を出て、世界が広がる感覚はあったけれど、選択肢が多くなる程、この手に持つべきものはなんだろう、この右手に合う道具は何だろう、とミナコは迷った。



普段は何かを決めることに時間を要さないミナコが初めて、決めきれずに燻りを感じた瞬間だった。



もうわからないや、と天を仰いだその時にふと、自然光にさらされて、柔らかな色を放つガラスが目に入った。



なんだかキラキラしている、触れたら暖かそう、でも壊れたりしないだろうか、冬の光が入らぬ時に思わぬ表情を見せそうだ、繊細だなぁ、


まるで”人間”みたいだ。


そう思った。



時が経ち、今、その自分の分身を大切な仲間を囲うようにして飾っている自分がいる。



そうだ、私も、柔らかな色彩のガラスも全部、”私”なんだ。ふははっ、と、いつしか笑っている自分がいた。

1219~イチニーイチキュー~




景色が見たかった。



何が見たいの?どういうことがしたいの?


そう言われることも多かったけれど、なんとも言うことができなかった。


何故なら、雑誌にも載っていない、絵に描くこともできない、前例がないことをあたしはやりたかったんだ。



コーヒーをひくのは、かっちゃんの役目。


丸メガネから見えている湯気の向こうにでも、あたしが見たい景色が見えたらいいのに。
いいのにー!!と、半ばヤケクソでデリの仕込みに取り掛かる、わたくし、yuccoでございます。


ギャロが脚にまとわりついてくる。

ヴィンスは冷静だなぁ。

yuccoとかっちゃんを俯瞰で見ながら付かず離れずの距離感。

kediの唯一の良心、ヴィンス。

レイは…あれなにやってんだ?(笑)

2人の緊張感が伝わったのか、ひたすら、木目の床を引っ掻いている。

困ったもんだ。



愛猫たちを横目に、来たる日へひらすらデリを用意していた。



メイデー メイデー!

エビバデ メイデー!

イチニーイチキュー!


高鳴る想いだけ持ったまま、くすぶらせたままに、沢山のデリと抱えきれず溢れて(こぼれて)しまいそうな想いを車に詰め込んで、馴染みのkediを出た。



あたし達2人だけでは出来ないから、色んな人に達に寄り集まってもらった。



時間をかけて、人と付き合ってくのも、悪くないなぁ。


何でも、勉強だなぁ。
忍耐や、折衝や、色んな場面にココロを差し出し、たまには砕いてきた。




「のうのうと生きてる奴らが居るほうが、可笑しいんだわぁぁぁい!」



とアーティストサロンで叫んでしまったのが、今にして見たら、この景色をみるための気合い入れでもあり、火蓋が切られた合図だったのかもしれない。



その先にある”景色”を


あたしが見たい”景色”を見たいんだ。


そこには、絶対、時間を共にしてくれた仲間がいて欲しい。


温かく淡いステンドグラスの光、木目のアンティークに囲まれた空間に、かっちゃんの淹れるコーヒー。



でも、最後にはきっと、皆んなの笑顔と笑い声が聴けたら、あたしの景色は完成する。



ギャロ、ヴィンス、レイ、


おかーさん、がんばるよ。

8639~ハチロクサンキュー~



あなたが”本当の友達”と言える人数は何人ですか?


この回答が近年実にシビアらしい。


ネットサーフィンしてみたけれど、0人という回答を持つページしか見当たらなくて、思わずガッカリしてしまう。


辛い時に頼れるのが本当の友達なんだろうか。

情けない表情をさらす事が出来たら、その目の前にいる人が”本当の友達”だと認めざるを得ないのだろうか。



ていうか、そもそも友達って、なんだ?



一台の車が運ぶ縁をみんなは信じるだろうか。



その車内で結ばれた縁が実に8年間も続いていること、誰か信じてくれるだろうか。



本当の友達かぁー、っと年末になると、少々回顧的になるのは、私だけでは無いはずだ。


整理整頓という名の元に手を動かせば、古いアルバムや、部活で貰った寄せ書きの色紙にブチあたって、ついつい読みこんでしまう。


写真を見れば見る程、背景が似通っていることに気づく。



確かに時は経っているのだ。

なのに、写真の背景がかわらない。




高校1年生でスキー部に入って、色んなゲレンデに行って滑ってきたから、雪景色がそんなに変わらないとしても、少しくらいは差異があるはずだ。



全国、津々浦々、どのスキー場に行くにも、大型バンで行っていたため、毎年記念写真を撮る時にはそのバンが片隅に必ず写っていた。


(余談だけれど、この車で色んなパーキングエリアに寄っては、メロンパンだの出来たてコロッケだの買って、皆で分けて食べたの、マジで美味しかった。楽しすぎて、何回か、食べかすを落としたことは、運転手には内緒。)



もとい、部活ではありったけの失敗をしてきた。
ゲレンデで派手に転ぶ、といったわかりやすい転倒から、人間関係の拗れ(こじれ)といった解りづらいものまで。


失敗、というものに出会っては、この車に持ち込んで反省してみたり、たまに泣いては、部活の同期に励まされてきた。


当時の運転手は、部活の顧問である今井先生。
今は先生も還暦を過ぎて引退され、この車の所有者は今井先生の息子さんである。


そして、今、私は同期である今井先生の息子と、そしてその他の同期2人と、昔と同じバンでまた雪山を目指している。



想い出の車には、別名がある。



ハローサンキュー号。



仲間と乗るには、なんて語呂のいい車なんだろう。




2016年12月24日土曜日

0109~ゼロイチゼロキュー~

空気が読めちゃって、すみません!


人に笑って欲しいから、ついつい自分の心を置いていって、合わせてしまう。



「エリ、それ、マジで初対面の空気感ゼロにする能力ハンパねぇ!」

とついこないだも男子に言われて、びっくりした。



人から言われて気づくこともあるみたい。


別に、自分のことそっちのけにして笑かそうなんて芸人みたいな事はしているつもりはない。

自分が喋ってると、結果的に、ワイガヤしてる空気感になるから、自分としては納得しているけれども、他人にしてみれば無理している様に見えることもあるんだって。



言われて気づく。本当にびっくりする。



あたしは空気読めるような人に思えているみたいだけど、他の人はあたしのココロを読んでいる。



怖いんですけどー!!



ヒト、信じられないです、怖いんですけどー!!


と、今日も、笑いを酒の肴にして気づけば、アンティークの椅子に深く、身体を沈ませて、喫茶店なのに焼酎を嗜んでいるエリ。ワイガヤしているいつものメンバーを横目に、グフフと笑いながら飲み続けるエリ。



空気が読めても、距離が上手く計れないのが悩みで、ついこないだも足の小指を壁に打ち付けちゃって…って、その距離感じゃないか。



物理的距離感は、流石にわかりますよ、そりゃ、失礼な。



もとい、人間関係の距離感が自分の中では上手く計れない気がしている。
というのか、バランスがとれない。



すっごく話したいと思うと、感情が高ぶってしまって、ついつい目の前にいる人が今日つい先程出逢ったばかりのヒトであることを忘れて、話すより先に抱きつきたいし、心よりモーションが先走ってしまって誤解を生みかねない。



馴れ馴れしい、という印象を残してしまって、勝手に嫌われることが過去にあって、最近特に距離感を計ることにナーバスになっている。



好きなだけじゃあ、駄目なんだなぁー。



遠い目をしてはみるけれども、やっぱり、ワイガヤする空気に持っていく自分がいる。



(距離感ムズカシイ、日本語ムズカシイ)



反省はしてみても、何だかんだ不器用な自分も好きだ。



空気読んでも、距離感計れません。



その滑稽さすら笑ってくれたら、あたしは元気になれる。



1111~イチイチイチイチ~



有無を言わさない絶対的幸福感を帯びた日にあたしは生まれた。

あたしの名前はトモミ。


小さい頃から劣等感を感じることは少なかった。有難いことに、両親は結構歳を重ねてからあたしを産んでいて、そのためか、一挙一動に驚き、賞賛の声をあげてくれる一番のサポーターで居てくれた。


その両親の元に育ったこともあってか、自分がどのような発言をして表情を見せたら両親が喜んでくれるか分かっていた。


受けた愛情は、表情に替えてプレゼントする。


今も変わっていないのかもしれない。


人と比べる、なんてことが煙たい事だと知ったのはつい最近のこと。
今から思えば、恥ずかしいけれどきっと、あれが若さであり(幼い状態であり)無知な事だったのだと思う。


あたしは20代の時に、やたらと人に勝ちたかったのだ。


何でもいい。
あたしがより輝く場所へ、より笑える場所へ。


自分がどのステージに立っていればいいのか自然と選びとるクセは、幼いころから変わってはいないし、きっと今も変わらず自身が”幸福”であることを選びとっている。


けれど、人は自然発火するように出来てはいなくて、周りから照らされているからそのステージに立っていられるんだということに気がついた。


トモミちゃん、トモちゃん。

色んな呼ばれ方をしたけれど、どれも愛着があって好きだった。


1が4つ並ぶ数字には、世のために生きる覚悟のある人だけが纏えるオーラがあって、この時刻に産まれた事実が本当に好きだ。


1番、一等賞、一番手。
どれも抜きん出ていることに、密かに誇りを持っていた。



でも他人は時にそれを責めた。
自分一人が輝くことで、光を分け与えることを目標としていたはずなのに、他人は時としてあたしを妬み、あからさまに拒むものもいた。


自分は自分、他人は他人、と割り切るは余りにも辛すぎる日もあった。


だって、あたしが信じた友達だもの。
折角なら、一緒にステージに上がってほしい。


トモミはテレビを見るたびに、あるいは駐車場の精算パネルの時刻に見るたびに、自分の生き方を重ねる。



イチイチイチイチ



このゾロ目に生まれたあたしには、他人を幸せにする覚悟があるんだ。

0115~ゼロイチイチゴ―~


小さい頃に誰にでもあだ名っていうのはあるもんだ。

私は、ゆかちゃんとか、ゆかっぺって、小さい頃は言われたっけ。

下の名前を取ることが一般的には多いだろう。

ところがどういうことか、私の場合には、イチゴちゃんと呼ばれることもあった。
ごく一部の人間(身内)が、そう、呼ぶことが多かった。

父親にしてみたら、本当に私のことが可愛くて仕方なかっただろう。
厳しくて、女の子には、”女の子”でいて欲しくて、古風な考え方だったけれど、それども不器用な父の姿は好きだった。



不器用な父が可愛く思える時もあった。


女の子にイチゴ、かぁ。なんてファンタジーな呼ばれ方をしたもんだと思った。



無論イチゴ柄の洋服なんて着たことはなくて、ただただ憧れはあった。
それにバスケットなんか持ってピクニックにも行きたかったな。
少女マンガの世界。



でも、私はその担当ではないことを高校生の時にハッキリと自覚した。
じっとしてられないのだ。この性分は仕方がない。



今はどういう訳か”女の子”特有のものに収まる気はさらさらなくて、明音(メイネ)にその担当は任せている。彼女には私の知らない世界を、ファンタジーをもっと見てほしいなぁ、と思っている。


今の子たちの時代は、もっと、きっと、私たちが見てきた光よりか、眩しすぎる程に鮮明であるはずだから。
今は今の良さをメイネには体験してほしいな、なんて。


ボンヤリと外を眺める時間を久しぶりに持ったなぁ、いつぶりくらいだろうか。


これがロハスの駆け出しというものなのかしら。しかし、次の1時間には私の右手には(あるいは両手には)球体のものを持っている。
いつになっても、じっとしてられない。

ボールは便利なツールだ、だから大好き。必ず受け取ってくれる。必ず返してくれる。

たまにボールの向こうに見える、彼らの笑顔がご褒美だ。


私が笑っていられるうちに、どんどんボールを投げてやるんだから。



しっかり受け取ってよね。



「みんな、いくよ!」